2025年11月18日 更新
ミライバトンオキナワFES主催
HAL=tonny

なぜ東京で「慰霊の日チャリティーライブ」を続けるのか──

沖縄出身の僕が11年目に考える“いま”

6月23日「沖縄慰霊の日」と、東京の雑踏の片隅でそっと向き合い続けてきた。11年目の現在地から語ることをここに記録しておく。


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6月23日が、僕の中で特別な理由



沖縄で育った人なら、
「6月23日は何の日?」と聞かれて迷う人はいないだろう。


6月が近づくと、あの歌がふいに胸の奥で鳴りはじめる。

「ろくがーつにじゅうさんにーちまたずー」
「げっとーのはなーちりーましたー」


——沖縄で育った僕にとって、6月23日は身体のどこかに刻まれた日だ。
子どものころ平和学習で何度も歌った【月桃】の記憶とともに、
この日は、東京に移り住んで十数年経ったいまも、
毎年静かに輪郭をあらわす。


東京での生活は忙しく、街は常に騒がしい。
それでも、この日だけは雑踏の片隅でそっと立ち止まり、
自分なりの距離で向き合ってきた。
深すぎもせず、浅すぎもせず、
“問題意識のちょうど中間”の場所で。


その積み重ねが、気付けば11年になった。
平和学習で“必ず一度は向き合う日”であり、
月桃の歌とともに記憶に刻まれる日だ。


だけど東京に来て知った。

——この日が“特別な日”だと思いながら生きている人は、
ほとんどいない。


それは、仕方のないことだと思う。
僕らだって 8月15日が終戦記念日だと知らなかったり、
広島や長崎の日の意味を深く理解していなかったりする。
生まれ育った環境が違えば、
“優先順位” も “感覚の深度” も自然と変わる。


育ってきた環境が違うから、夏がだめだったりセロリが嫌いだったりする。
それと似たような話だ。


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沖縄から出たことのない僕が、東京へ出た



沖縄の私大を出るまで、ほとんど島から出たことがなかった。
北部・中部・南部をぐるぐる回るような日々で、外の世界はテレビと音楽の向こう側にしかなかった。


そんな僕が、大学卒業と同時にアコギ一本を持って東京へ飛び出した。


特に目標があったわけでもない。
ただ「行けるところまで行ってみよう」と思っただけだった。


東京の生活は、刺激的で、結果を出せば認められる。
その空気が僕の性分に合っていたのだと思う。
運にも、人にも恵まれた。
気付けば十数年、ここで暮らしている。

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「沖縄出身」は便利な肩書き。でも、それだけじゃ語れない。

自己紹介の場では、“沖縄出身”はとても便利だ。
覚えてもらいやすいし、話のきっかけにもなる。

「毎年沖縄に行くほど好きです!」
という強者もいて、実家がある僕より詳しい人もいる。


ただ——
「沖縄のことを語ってほしい」という期待に
素直に応えられない自分もいた。


僕は海人でもないし、
教科書に載らない島の宝を語れるほどの深度もない。
僕のリアルは、米軍フェンスの多い住宅街に暮らしながら
日本のスタンダードを追いかけていた“地方の民”だった。


流行をテレビで知り、ゲームを羨ましがり、
最低賃金が低く、教育環境も十分とは言えず、
その中で必死に生きてきた家族や友人たちがいる。


ヘリの爆音もフェンスも、
あまりに日常に溶け込んで“問題”として認識されづらい。


目先の生活で精いっぱいで、
違和感があっても優先度を上げられない。


——それが、僕の生まれ育ったリアルだ。


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東京で「慰霊の日イベントをやろう」と言い出して、11年



そんな僕が東京で
「6月23日に沖縄のチャリティーライブをやろう」
と言い出したのが10年前。


気付けば、今年で11年目を迎える。


この頃のことは、数年前にもどこかで書き留めていた気がする。
けれど、いまの自分の言葉でちゃんと残しておきたかったから、
こうしてあらためて書き直している。


赤坂、渋谷、下北沢、高田馬場……
いろんな街で続けてきた。
(大阪でも同日・同タイトルのイベントが5年続いた)


イベントの目的は一貫している。


・問題意識がなくても楽しめる

・音楽を楽しむうちに「沖縄に関する日なんだ」と知れる

・沖縄に関係のない出演者も自然体で楽しめる


1分間の黙とうをし、最後はカチャーシー。
型はあっても、あとは自由に楽しむ日。


知識も深くない。
活動家でもない。
その“中間”のポジションだからこそ続けられた11年だった。


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イベントの現場で感じた「消化不良の分断」



沖縄出身の人たちは、この日を大切にしながら想いを歌う。
一方で、他県出身の人たちは
「初めて知ったけど大切な話ですね」と返してくれる。


でもその言葉の裏に、
“建前として適切なことを言わなくては”という
微かな緊張が見えてしまう瞬間があった。


この感覚には覚えがある。


沖縄でフェンスのそばに暮らしながら、
声をあげる同県民を横目に
“問題意識の優先度を上げられなかった自分” と同じだ。


立場が変わっても、同じ構造を再生してしまう——
そんな危機感があった。


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東京で生きてきた11年と、いま選び直したい形



東京で働きながら少しずつ余裕を得て、
挑戦できることが広がってきた。


沖縄も、僕の知らない変化をしているだろう。
離れてもう十数年。
時代も、暮らしも、人の意識も変わっている。


だからこそ、


**今の自分にしかできない


今の自分だからできる
今の自分がやりたい“慰霊の日との向き合い方”を選び直したい。**


分断を生まずに、
先人たちから受け取った想いを未来へ渡す形を。


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ミライバトンオキナワFES2025へ



ここからは新しい出発点だ。


タイトルも、新たに書き換えた。
「月桃の唄が聴こえた日」から「ミライバトンオキナワFES」へ。


先人から受け取ったバトンを、
僕らが最大限に謳歌しながら、
次の世代へ手渡していく。


今年も収益は全額寄付。
楽しむだけで“良い行い”になる設計にしている。


「知らなかったこと」を恥じなくていい。
「優先度を上げられないこと」を責めなくていい。
自分が背負いすぎる必要も、正義に閉じ込められる必要もない。


ただ、この日を“自分なりの形”で味わってほしい。


沖縄という一つの島を越えて、
受け取った恩恵を未来へつなぐために。


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僕の中の誇り高き沖縄



沖縄の誇りは、僕の中ではとてもシンプルだ。


**日本のカルチャーに一石を投じ続けてきた

圧倒的にカッコいい先輩たちが生まれた場所。**


ORANGE RANGE … 世界を切り拓くユーモア

HY … 人を想う純度

MONGOL800 … 理屈を越える楽曲の力

かりゆし58 … 強かな生き様

Kiroro … J-POPの真髄


僕の魂の中に生き続けているのは、
あの先輩たちがくれた“沖縄のかっこよさ”だ。


いつかこのイベントが続き、広がり、
「6月23日は沖縄のフェスの日だよね」
と言われる文化になっていけばいい。


僕が受け取ったバトンを、次の世代へ自然につなげるように。


そして、
この文章を読んでくれたあなたにも、
あの日の“中間”で葛藤していた過去の自分にも、
少しでも何かの光になりますように。